つくろう、島の未来

2018年12月11日 火曜日

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

見つめ続けた自然との付き合い方。 自然の魅力を伝えることが、自然保護に繋がる。

島根県隠岐諸島にある西ノ島の観光協会で、自然を観察するプログラムを立ち上げている江崎さん。仕事や本を通して学んできた自然との付き合い方とは。お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

江崎逸郎(えざき・いつろう)|自然ガイド 島根県隠岐郡 西ノ島町観光協会職員。

生き物が好きで生物学科へ

福岡県で生まれ育ちました。幼少期は真面目でもなく、活発でもなく、平均的なタイプだったと思います。

小さい頃から、生き物を見るのが好きでした。クワガタ採りをしたり、カエルの解剖をしたり、蝶の標本を作ったりしていました。蛇が大好きで、蛇の子どもを鞄に入れて登校して怒られたこともあります。恐竜とか大きい生き物も好きでしたね。

できれば、大学ではクジラの研究がしたいと思っていました。本当は恐竜が好きでしたが、恐竜は化石でしかなくて、生きている姿を見られません。同じ巨大動物ということで、なぜかクジラに行き着いたんです。

ただ、合格した岡山の大学では、クジラの研究ができませんでした。それで、大学3年生で専門を決める時、生物コースで昆虫の研究をしている研究室に決めました。

大学では蜂の研究をしました。おもしろかったですが、やはりクジラの研究をしたい気持ちは変わりません。大学院に進もうと考え、先生に会いに行ったり、勉強したりしました。

しかし、大学院の入学試験は不合格でした。さすがに研究者には向いていないんじゃないかと思い、大学院の浪人までは考えませんでしたね。

調査よりも魅力を人に伝える仕事

大学卒業後、母が病気になって、看病のために帰省しました。半年ほどして落ち着いたので、仕事を探し始めると、環境アセスメント会社の募集を見つけました。ちょうど、自然環境に配慮した公共事業が盛んになり始めた時期だったんです。何か生き物に関わることをやりたかったので、アルバイトで入ることにしました。

そこでは鳥の調査をしました。高速道路を作るため山を削る時など、タカなどの猛禽類がどのくらいいるのか調査する、というような仕事がたくさんありました。おもしろかったですね。オスとメスの求愛行動など興味深い行動を観察したり、自然環境との様々なバランスの中で世代が続いていたり、目の前で鳥の生き様を観察できて、自然を見続けることのおもしろさに気づきました。

2年くらい、調査の仕事を続けました。でも、クジラに関わる夢はずっと忘れられなくて。そのままアセスメント会社にいても正社員になることもありませんし、もっと自分を試したいと思って、仕事を辞めました。

それで、3ヶ月ほど西表島の民宿に住み込んでガイドをした後、小笠原諸島に行きました。そこで、クジラやウミガメの調査のボランティアを請け負いました。

クジラの調査では、各個体の分布や数などを調べます。5人ほどで調査船に乗り、クジラを追いかけるんです。山の上で海を見ている人から、「あっちにクジラが出た」と連絡がくると、望遠カメラを構え、船を飛ばしてクジラに近づきます。クジラが潜る時に上げる尾ビレを写真におさめるんです。尾ビレで個体識別をしていたんですね。

研究所に帰って写真を現像して、どのクジラだったのかを照合します。撮影に失敗したらどやされましたが、おもしろかったですね。

ウミガメの調査もハードスケジュールでした。夜中にテントに忍び込んで、ウミガメが上陸して産卵を終えた後、海に帰るところを捕まえるんです。ひっくり返して、ヒレに識別のタグをつけて、また海に返します。徹夜で作業し、多い時は20頭くらい捕まえます。

ウミガメは150kgくらいあって、ヒレで叩かれたら人一人くらい簡単に吹っ飛びます。ウミガメに気づかれないように近づくのが上手くなりましたね。

それ以外にも、一般の人たちに向けてレクチャーもしました。自分が感じた自然の魅力や発見したことを上手に伝えて、お客さんも驚きを得る。「この時期にここに行けば、こういう自然のおもしろさが見られます」と伝えて、それが目の前に現れた時、ものすごい共感が生まれるんですよね。

知らない人同士でも一瞬で分かり合える。そうなると、何度も来てくれるようになり、人同士、人と自然同士がどんどん繋がっていくんです。

「こういう自然との関わり方もあるのか!」と、気づきました。私には調査や研究をするより、そこでわかったことを人に届けていくほうが向いているし、そちらの方がやりたいと思いましたね。

自然との付き合い方を学ぶ

1シーズンのボランティアを終えた後、福岡に帰りました。クジラ関わる仕事はほとんどないので、すぐに何かするのは難しかったんです。それで、自然観察センターという山の自然の魅力を伝える施設でアルバイトを始めました。

一般の人向けの自然に関する行事を開催したり、環境の調査をしたりして、自然保護をすすめていく仕事でした。何年か働いてからは、正職員として採用されました。

そこで働いたり、本を読んだりする中で、自然との付き合い方を教わりました。季節によって咲く花が違うとか、野鳥が鳴き始めるのが年によって違うとか、季節的な変化、人の力が及ばないことが目の前で展開される。わからないものを自分で調べて知っていく楽しさがありました。

そうすると、身近な自然でも新しい発見や未知の世界をたくさん与えてくれることがわかり、それがだんだんと、自分の心の軸になっていきました。

また、この頃より自然に対する様々な人考え方を知るために、本を多く読むようになりました。特にアラスカで活動されていた写真家、星野道夫さんの『アラスカ光と風』という本との出会いも私にとって大きいものでした。原住民の人が自然とどう向き合って精神世界を作っていったかを写真と文章で追い求めた本です。

星野さんが体験して考えたことから、さらに自然をどうやって自分の糧にしていくか。どうやって自分ごとにしていくか。そういう考え方を学びました。

星野さんは北方民族から大きな影響を受けていましたが、私自身も、北海道の苫小牧に異動した後、星野さんの本から学んだ自然との付き合い方の一端を体感しました。アイヌの人は、自分たちが自然や生き物から恩恵を得ていることをちゃんとわかっています。自分たちの生きる糧や精神世界を崇拝し、守ろうとしています。現在でもそれを理解し共感している人が北海道には多くいるんです。

今まで体験したことが合わさって、自然と上手く付き合っていける、自然があれば私は前向きに生きられる、そういう感覚を持ちました。

自然と人が魅力の西ノ島への移住

苫小牧で2年勤めた後は、三宅島で6年働き、自然観察の仕事を始めて10年ほど経ちました。

ちょうどその頃、妻が妊娠しました。私は、子どもは自然に囲まれた環境で育てたいと思っていました。また東日本大震災が起きて、放射能の影響が気になったんですよね。それで、移住を考え始めました。

移住先は、自然があることが前提でした。どこかで仕事が見つかれば、その場所に移住しようと思っていました。すると、島根県、隠岐諸島の西ノ島で、保育士をしていた妻の仕事が見つかったんです。

それで移住することに決めると、タイミング良く西ノ島の観光協会が職員を募集しているのを知りました。もしかしたら、それまで自分のやってきたことが観光に活かせるんじゃないか。そう思い、観光協会で働くことにしました。

不安だったのは、人との付き合い方と、自然に納得できるかどうかくらいでした。自然の厳しさや多様さは三宅島のほうがあると思っていたので。実際は、西ノ島の魅力を知るにつれて、不安は解消されていきました。

人との距離感も、居心地がいいですね。民家を紹介されて、60人程度の小さな集落に住見始めると、歓迎されて良くしてもらえるけど、深いところまでは介入されないんです。西ノ島の外の人への寛容さは、移住時にすごく安心感がありました。人の良さは、西ノ島の誇れるところのひとつだと思います。

自然を守るために、好きな人を増やす

現在は、西ノ島の観光協会で働いています。観光イベントの運営が非常に多いですね。それ以外に、都会に営業や宣伝に行ったり、マスコミの取材対応や修学旅行の受け入れもやっています。

来年からは自然を活かした事業に関われることになりました。3年かけてあたためてきたものを事業化できそうなんです。

西ノ島には他ではあまり見られない珍しい花や野鳥など希少な自然があります。でも、団体で観に行くような場所にないし、踏み荒らされたら困るんです。そういったところに、自然が好きな個人客に向けて、少人数で自然・生き物を観察できるようなプログラムを作れればよいなと考えています。

自然は際限なく色々なことを教えてくれます。クジラや鳥の生態系、伝えることのおもしろさ、昆虫や花の繋がり、全体を見るという視点、北海道や離島の生き物と人の生き様など、本当にいろんなことを学ばせてもらいました。

今興味があるのは、生物地理です。生物がなぜ今のような分布をしているのか。大陸の移動や気候変動の影響など、何万年、何百万年というスケールで物事を見るのがおもしろいですね。

隠岐は不思議なところで、北海道や東北など北方や高地にあるような植物が平地や海岸にあったり、対馬暖流の影響を受けて南方系の植物の北限があったり、日本では繁殖していない鳥が見つかったり、そういう地理的な不思議が多くあります。

ユーラシア大陸から引き離された日本列島の成り立ちを考える上で、非常にわかりやすいものがたくさん残っています。調べれば調べるほど、変なものが出てきて、開拓していくおもしろさがあります。

一方で、自然が壊れていく危機感はずっとあります。その根底にあるのは、自然と人との精神的な繋がりがなくなって久しいことだと感じています。精神的な繋がりは島でもなくなっています。

日本はこんなに豊かな自然があって、四季があって、外国から認められる里山もあるのに、西洋の人たちのほうが危機感を持っている気もします。でも、まだ繋ぎなおす可能性もあるし、それでお客さんを呼べる確信があるんですよね。

これからは、「どこに行けば、どういう自然のおもしろさが見られるのか」を整理して、発信していきたいですね。自然を好きな人を増やすことが、自然を守ることに繋がるんです。

自然の魅力をどう残していくかと考えると、やっぱり知ってもらうことが大きい。難しいことですが、人に伝えることが、自然を守ることに繋がるという実感を得られるのは良いですね。

ただ、片手間じゃなく一年を通してじっくり自然を見ないと、なぜその場所がすごいのかが伝わりません。今までの仕事で、難しい言葉をどうわかりやすく伝えていくかを身につけられたので、それが私がここでできることかなと思っています。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

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