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離島経済新聞

 

インタビュー

【国境離島に生きる】祖父母の眠る宇久島に恩を返したい。|檜垣 督さん

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

祖父母の眠る宇久島に恩を返したい。
アクアリウム業界の光となる新たな挑戦。

長崎県の宇久島で観光協会のスタッフとして働く檜垣さんは、34歳の時に移住してきました。長い間、ペット業界で働いていた経験を活かし、島で新たに始めようとしているビジネスとは?お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

檜垣督。宇久島の観光協会で地域振興の仕事に携わる。その傍ら、宇久島の海産物の観賞魚市場への販売を考える。

やりたいことが分からない

大阪府高槻市で生まれました。小学生の頃はとてもやんちゃな子どもで、友達と激しい喧嘩をして、よく先生に呼び出されました。親は放任主義で、「基本的にはやりたいことをやれ。ただし、やるなら筋を通せ」という教育方針の持ち主でした。

毎年夏休みには、母の実家がある長崎県佐世保市の離島、宇久島へ遊びに行きました。まる一ヶ月滞在するのが恒例でした。海で泳いだり、カブトムシを獲ったり、キャンプやバーベキューをしたり、毎日遊びまわっていました。

祖母には、三輪自転車の後ろカゴに乗せられて、よく海に釣りに連れていってもらいました。それで釣りにハマって、大阪でも友達と一緒に釣りへ行くようになったんです。ただ、中学生になってからは部活などが忙しくて、宇久島へ遊びに行くことがなくなりました。

高校が進学校だったので大学に進みましたが、将来やりたいことはありませんでした。ただ周りに流されているだけの生活。バンド活動に精を出し、授業にはほとんど出ませんでした。

2年生に上がる時、取得した単位はわずか5単位。留年したらお金がかかりますし、どうせ勉強しないのは分かっていたので、退学することにしました。それからは昼まで寝て、夜になれば麻雀や夜の街を徘徊する、ムチャクチャな生活を送りました。

すると、そんな僕の噂を聞きつけた高校時代の友達に呼び出され、思いっきり説教されたんです。何やってるんだって、ボロクソに言われましたね。いつもなら喧嘩になるところですが、言われていることがあまりにも正しくて、ぐうの音も出ませんでした。何をやってるんだろう、俺は。胸が痛みました。

その時、初めて、自分の将来を真面目に考えました。どんな仕事をすればいいんだろう。一体自分は何が好きなんだろうかって。

その時頭に浮かんだのは、魚に関わる仕事でした。釣りは好きでしたし、家で魚を飼ってたんですよね。それで、友人に説教された翌日、いつも通っていた熱帯魚屋へ行き、働かせてほしいと頼みました。

すると、店長が「やる気があるなら来てみろ」と言ってくれたんです。

観賞魚業界で独立したい

僕の主な仕事は、魚の販売や水槽の掃除、発注管理でした。基本的には買うことを決めてお店に来る人が多いので、売れたときはうれしいですよね。買おうか悩んでいるお客さんには、飼い方のアドバイスをしたり、飼いやすい種類の魚を教えたりもしました。

自分の好きなことが仕事になって、それにお金がついてくるのが面白かったです。夢中で仕事をし、一生この業界で働きたいと思いました。25歳の時に店長に昇格して、30歳までに独立して自分で店を持ちたいと漠然と考えるようになりました。

そんな矢先、ロールモデルにしていたアクアリウムショップが潰れてしまったんです。厳しい現状を見て、この業界で働き続ける難しさを痛感しました。その後、ぼくが勤めていた会社も倒産しました。

10年近く朝から晩まで働き詰めだったので、さすがに体は限界でした。次の職場に行くまでに1か月ほど休みをもらって、久しぶりに宇久島でリフレッシュすることにしました。

宇久島に来たのは、ほぼ20年ぶり。港から降りた瞬間「あれ?」と違和感を覚えました。子どもの頃には、駄菓子屋さんや花火屋さんなどお店がたくさんあったのに、開いているお店が数えるほどしかないんです。人もほとんどいなくて、えらく寂しいなと。

一方で、変わらず綺麗な海には感動しました。また、何十年かぶりに海に潜り、驚いたことがありました。アクアリウムショップに行ったら3000円くらいで売られているイソギンチャクが、海の中にゴロゴロいたんです。

この時、宇久島の魚をアクアリウムショップに販売するビジネスのアイデアを思いつきました。食用の魚と比べて、観賞用として市場に出ると、単価が5倍以上に跳ね上がるんですよね。それまで熱帯魚業界で働いてきた知識を活かして、ビジネスができるんじゃないかと思ったんです。

また、宇久島のものを島外に販売すれば、島に産業が生まれます。地域活性にも繋がるんじゃないかと思いました。

ただ、すぐに始めるのは現実的ではないと思って、まずは熱帯魚の卸売をする会社で働き始めました。流通構造を知ったり、人脈を作ったりできると思ったんです。

ビジネスのことしか考えていなかった

熱帯魚業界は、どんどん厳しくなっていました。輸入の制限がかかったり、特定外来種保護の法律が変わったり、それまでのビジネスが通用しなくなったんです。あまり儲からない業界なので、大体の人は30歳位になると別の業界に転職します。だから、若手への教育が進まないんですよね。育てても辞めていく繰り返しで。

でも、僕はこの業界でずっと働きたいと思っていました。やっぱり魚が好きでしたし、10年以上働いて積み重ねたものを捨てるのはもったいないと思っていたんです。

独立を考えている僕にとって、熱帯魚業界の変化はむしろ追い風だと思いました。既存のことが通用しなくなるなら、どうせ新しいことを仕掛けなければならない。それなら、僕がやろうとしているビジネスにもチャンスがあると思ったんです。

それで、2年間勤めた会社を辞めて、宇久島に移住を決めました。とにかく事業のことしか考えていなかったので、住む家すら決めていませんでした。とりあえず生活費を稼ぐために仕事を探さなければと思い、役所の人に相談すると、アワビの養殖の仕事を紹介されました。魚に関わるビジネスを始めるなら、きっと役に立つだろうと配慮してくれたんです。

島での生活は、慣れるまでに半年くらいかかりましたね。まず、島の方言が分からないんです。指示されても何を言われているか分からなくて苦労しましたね。あとは、人間関係の近さに驚きました。すごく親切にしてくれますし、気づけば噂が島中を駆け巡っていることもあって、びっくりしましたね。最初は近すぎて窮屈さを感じたんですが、悪気がないと分かって来た頃から、徐々に慣れました。

アクアリウムビジネスの準備も着々と進めました。一番の課題になるのは商品の発送です。魚を送るための専用の箱を使って、無事に届けることができるのか、何回かテストしました。結果、問題なさそうだということが分かりました。

ところが、物流以外に大きな問題があると分かりました。漁業権と県の認可が必要になるというんです。漁業権は、組合にやりたいことをプレゼンすることでクリアできました。歓迎されているかは分かりませんでしたが「まあ、やってみろ」ということで。

しかし、長崎県からの認可は下りませんでした。魚をペットショップで販売するということは、動物愛護団体からクレームが入る可能性がある。だから、事業を許可することはできない。そう言われたんです。

正直、解決策はありませんでした。一個人が、動物愛護団体の方を納得させられるかというと、ちょっと難しい。日本では唯一、沖縄県が認可を出しています。でも、僕は宇久島でやることに意味があると思っていたので、沖縄に行く気にはなれませんでした。

沖縄でやってもただの二番煎じでしたし、僕は宇久島のためになることがしたいんです。なんでか分からないけど、母が生まれ育ち、祖父が眠るこの宇久島だからこそやりたいんですよね。

事業化は一旦延期して、観光業界で働きながら様子を見ることにしました。

宇久島に恩返しがしたい

宇久島に移住して3年になります。現在は、観光協会で島の観光を盛り上げる仕事をしています。観光案内所や販売店での対応をしたり、島外の大学生を受け入れた島起こし活動もしています。もともと接客が好きだったので、島の窓口になれる観光業界の仕事は面白いですね。

観光に来る人を増やすことと、来てくれた人に満足してもらうのが僕たちの役割です。宇久島に遊びに来る魅力は、やっぱり島の人との交流だと思います。なので、僕たちは民泊に力を入れています。

島外から来た人に一般の民家に泊まってもらい、一緒に料理をしたり食事をしたりしながら、島の生活を体験してもらいます。そうやって、島の人と触れ合って、何度か島を訪れるうちに島を好きになってもらい、移住してくる人が増えてたら嬉しいですね。

人口が増えることがゴールではないと思うんですけど、島を活気づけたいとは思います。僕は、どれだけ多くの島民の方々がやりがいとか生きがいを持っているかで、島の活気は変わるのではないかと考えています。変な話、僕も若い頃それがなかったときは活気がなかったけど、熱帯魚屋で働き始めて明らかに生活の充実感が変わりましたから。

観光協会で働いていると、自分の地域の取組だけでなく、他の地域での取り組みも聞く機会が増えました。それまで自分が考えていた地域振興とは全然違って、実際に雇用を生み出したり、人呼べたりする事例を知ることは、本当に勉強になります。

観賞魚ビジネスも諦めたわけではありません。ただ、今のところ県を説得できるほどのものはないので、宇久島でいろんなことを学びながら、次の動き方を考えているところです。

「生態系の破壊だ」「動物虐待だ」といった、動物愛護団体の主張は分からなくはないんですが、観賞魚に関しては需要があるから市場が成り立っているものであり、愛玩動物(ペット)業界全体に言えることですが、飼育される方はちゃんと世話もするし、愛情もしっかり注いでいます。一部の人間のする痛ましい実情だけを取り上げて全体を叩くものではない、というのが、僕の主張です。また、原産地のビジネスの支えにもなっているものです。例えば、アマゾンなどでは、原住民の人が魚を取って販売することで、生活の糧を得ています。ミャンマーなどでは、国策として観賞魚の販売をやっていると聞いたこともあります。

いずれにせよ、宇久島の海の資源を、漁業以外でもお金に変える仕組みは作りたいですね。それが、アクアリウム業界にとっても新たな一手になると思うんです。今やっている観光の仕事ともいつかは結びつくような気がするので、今は目の前のできることをやっていきたいですね。どちらの業界も人を楽しませる仕事ですし。

それで、ちゃんと宇久島に貢献をしていきたいです。住めば住むほど、恩返しをしたいという気持ちが強くなっています。これは親の教育の賜物ですね。昔から、謙虚さは忘れないようにと言われてきたので、島の人に良くしてもらった分は、ちゃんとお返ししたいと思うんです。

せっかくのご縁でこの島に来たからには、しっかりと恩返しをしていきます。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

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