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インタビュー

【国境離島に生きる】 物質的ではない、幸せな暮らしとは?|貴舩 森さん

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

震災を通して見つめ直した生き方。
物質的ではない、幸せな暮らしとは?

鹿児島県の口永良部島にて、区長として島民を巻き込み、島のビジョンを描く貴舩さん。10歳の頃に出た島に戻り、この地で生きると決めるまで、どのような体験をされたのでしょうか。お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

貴舩 森(きぶね・もり)。口永良部島の本村区の区長として島民をまとめる仕事に尽力する。

島出身者はいじめられる

鹿児島県の離島、口永良部島で育ちました。屋久島からさらに船で2時間30分程度の場所にあります。人口は300人程度の島で、大自然に囲まれていました。

遊ぶのは全て自然の中。大人が作り出したおもちゃが潤沢にあるわけではないので、遊ぶものですら自分たちで作ります。中学生くらいの先輩たちは、自分で作ったナイフを持っていて、それで釣った魚を捌くんです。

川でエビを取ろうと思っても、網が必要です。当然買ってもらえないので、打ち上げられている漁網をつなぎ合わせて自分で作ります。鳥を取るトリモチも自分で作りましたね。自分で考えて遊ぶことに、毎日ワクワクしていました。

両親は島外からの移住者だったので、この時代はよそ者扱いされることも多かったそうです。その状況に耐えきれなくて、僕が10歳の頃に家族で兵庫県に引っ越しました。

引っ越した先の学校は、1学年1000人以上いるマンモス校。僕のような田舎者は、いじめの対象になりました。方言を馬鹿にされ、机に画鋲をびっしり置かれ、しまいには机と椅子が教室からなくなりました。

その状況を先生も無視。先生いじめもひどい学校だったので、見て見ぬふりをしたんだと思います。

中学生になってからは、いじめに対して、嫌悪感というか、絶対に負けたくないという思いが強くなり、喧嘩ばかりするようになりました。学校では、完全に落ちこぼれました。父は絵描きで、家は裕福ではありません。学校の先生や親、同級生に対しての反抗心が積もり、完全に人間不信に陥りました。全ての人間が、自分にとって都合の悪い人間だと思いました。

父に怒られることは余りなかったんですけど、「人のせいにするな」ということは言われ続けました。人が生まれてから死ぬまでの全ての責任は自分にある。嫌な人間だと思われることも良い人間だと思われることも、全て自分の責任。人のせいにしないで、自分の人生に最後まで責任を持て。そんなことを言われました。

とはいえ、自分が望んで生まれた世界でもないし、いじめにあっている状況に対して、自分の責任だとは思えませんでしたね。

お金を稼いで豊かな生活を送りたい

高校は行くことをやめました。その後、父の知り合いがいた北海道で暮らし始めました。昔から、新しい土地に行って見たことがない景色を見るのがすごく好きで、北海道の知り合いを紹介された時、ワクワクしちゃったんです。

電車と船を使って由仁町という町に来て、牧場で暮らしました。マイナス25度でダイアモンドダストが舞うような環境は、本当に素晴らしかったですね。まさに見たことがない景色でした。

北海道は1年ほどで満足したので、当時両親が暮らす兵庫県の川西市に戻りました。洋裁の専門学校に通う姉の紹介で、アパレル関係の仕事に就きました。生地を仕入れて販売する仕事で、大手海外ブランドが使うような生地を扱っていました。

お金を稼ぐのは面白かったですね。自分なりに工夫して、頑張ればその分がお金に変わるんです。ずっと貧しい生活をしていたことや、中卒のコンプレックスもあって、お金への執着は強かったんです。

いい車に乗って、いいところに住んで、いいものを食べる。それがいい生活だと信じていました。その分、人間関係はおろそかにしていて、友達はあまりいませんでした。

勤めていた会社は、色々自由にさせてくれる環境でした。その会社以外でもアルバイトをすることを許され、自分で必要だと思った環境に飛び込み、スキルや経験値を磨きました。それまでの人生をひっくり返したいというか、負けたくないという一心で、がむしゃらに働きましたね。

被災地で気づいた今の生活の虚しさ

そんな生活を送っていた22歳の時、阪神・淡路大震災が起きました。知り合いにボランティアに誘われて、新しいことを経験したいという興味本位で参加することにしました。

被災地では、ビルも家も倒壊。被災者は、瓦礫になった街を横目に、外で火を焚いて寒さを凌ぎながらテントで暮らしていました。寒い時期で、豚汁やカチコチに固まったおにぎりを食べます。

早く通常の生活に戻りたいという要求が出てくるのは当然です。あれも欲しい、これも欲しい。そう思いながら、多くの人が我慢して生活をしています。

次第に、理不尽な要求をする人も出てきます。「風呂はいつになったら入れるんだ」「こんな硬い握り飯ばかり食えるか」「豚汁は飽きた、他の炊き出しはないのか」

毎日同じもので飽きてしまうのはわかりますが、大変な状況なので、みんな我慢しているんです。それなのに、飽きたからいらないと言われ、おにぎりが山のように余ります。そのおにぎりを、もったいないと言ってボランティアが食べている状況。

全国から集まった衣類のところには、どこからともなく車で来た家族が、質の良さそうなものだけ持っていってしまう。家に残っている高齢者を見回りに行くために集めた自転車30台が、被災者の人に持っていかれてしまう。「俺たちは被災者だ」そう言って、自分の主張を通す人もいました。

まるで、自分自身を鏡で見ているようでした。強引な要求を悪びれる様子もなくする。その要求は、僕が求めていた要求と同じだったんですよね。元の生活、いい生活を求めているだけです。

じゃあ、自分が求めていた生活って何なんだろうって思うわけです。隣の公園では、被災した家から集められた電化製品の山ができています。自分が欲しいと思っているものが、一瞬にしてガラクタになる。そういう世界を目の当たりにてして、今自分が追い求めている生活に対する違和感が湧いてきました。

いい車に乗って、いい電化製品を揃えて、いいマンション住んでも、ただのガラクタにしかならない。そういうものに、自分の人生を一生注ぎ込むのか。それを追い求めても、豊かさとか幸せはないんじゃないか。そう感じ始めたんです。

その時から、自分の人生の見直しが始まりました。物質的なものを求めるのではなく、人間関係も大切にしなきゃと思いましたし、幸せだと思える生き方とは何か考えるようになりました。

両親が口永良部島に戻っていたので、毎年島にも戻るようになって。幸せな生活をするためには、自分が住みたいと思える場所、自分が自分らしくいられる場所に住む必要があると思い始めました。

戻る場所は、やっぱり地元だった

仕事をしながら、自分が住みたいと思える土地を探すため、日本全国色々なところに行きました。ヒッチハイクで移動しながら、各地で働くんです。ピンときた沖縄、青森、北海道には少し長く住みました。

ただ、しっくり来る場所はなくて、結局、口永良部に戻ってきました。最初から、口永良部は頭に浮かんでいたんですよね。両親と一緒に暮らすことに抵抗があって、外そうと思っていましたが、色々回った結果、口永良部しかないなと感じたんです。最初から分かっていたことを、確認したような感じです。

覚悟を決めたのは26歳の時。一生暮らすと決めて戻りました。仕事は決めていませんでしたが、僕にとって大事なのもは「暮らし」だったので、仕事は何でもいいと思っていました。最悪、自給自足で死なないことも分かっていましたし、それまでいろんなことを経験してきたので、仕事がなければ作ればいいと思ってました。

理想の暮らしに家族は必要だと思ったので、戻ってすぐに結婚相手探しをしました。島に遊びに来ている女性に片っ端から声をかけて、島を好きになってくれた人と結婚しました。

仕事は、土木、漁業、農業など、業種にかかわらず何でもやりました。困っていることがあれば対応する、よろず屋です。島起こしに対しても色々言いました。後継者が必要なので、とにかく若者を増やしたい。帰島当時は、若者が住みたいと思えるような都会的なものを増やさなきゃダメだと考えていましたね。ただ、言いっぱなしで実行に移さなかったので、誰にも相手にされませんでした。

20代で失敗し続け、自分の意見を一方的にぶつけるだけではダメだと学びました。30代に入ってからは、島の人が何を考えているかなるべく知り、自分で実践することを意識しました。とにかく自分でやって、自分で責任を取るという覚悟でした。

噴火は島のシンボル

口永良部島は活火山で、2014年8月に34年ぶりの噴火をしました。そこまで大きな噴火ではなかったので、避難勧告は出ませんでしたが、その後噴火した時のことに備えて、過去の噴火を調べて、防災に必要なものをまとめたり避難所の準備を進めました。

翌年の5月頃には火山性のある地震が続き、大きな噴火が来そうだという空気が島内に漂っていました。毎朝、自然と消防団員が集まり、その日の予定や島民がどこにいるかを共有して、避難のシミュレーションをしていました。

5月29日、大規模な噴火が起きました。僕の目の前200メートル先を火砕流が流れていきました。それでも、シミュレーションのおかげもあって1人も死者は出ず、32分で避難は完了しました。島内全域で噴火警戒レベル5になり、全島民が屋久島に避難しました。

それからは、いかに早く島に戻れるかだけを考えて行動しました。火山島に住む人にとって、噴火は自然の一部です。桜島なんかも同じだと思いますが、住む人にとって山はシンボルであり、宝なんです。山の下では、みんな平等。たまに噴火する怖さはありますけど、生かされてる実感を持てるんです。

僕は避難民の窓口となり、屋久島町とも協力して、島民が早く島に戻れるように動きました。島民の中には、「何年も帰れないかもしれない」という不安感が漂っていましたが、町長の「年内には帰島できるようにする」という力強い意志と行動があって、7ヶ月後の12月25日には、帰島開始できることになりました。

噴火を経験したことで、島の中に団結感が生まれました。それまでは、行政区として屋久島町の一部でしかないという認識だったんですが、「島に戻る」という1つの目標を持ったことで、「口永良部島としてどうしたいのか」という方向に議論が向くようになりました。島のことは、島の人たちで考えようと。

不便さの中にある豊かさ

2016年度から口永良部島の本村区の区長になりました。仕事は変わらず色々やっています。民宿、自然ガイド、委託管理業、農業など、様々です。

口永良部島の人口は100人ほど。噴火をきっかけに団結感が生まれたこともあって、島をどうしていきたいのか、島民の人たちと一緒に考えるようになりました。ちょうど最近、10年の基本計画の草案ができました。屋久島とは違うひとつの島として、独自の理念を作っていきます。

また、島の人同士がお互いのことを知るために「本音で語ろう会」という集まりを開催しています。この場では、批判は禁止。島で問題だと感じることを洗い出して、みんなで解決策を考えます。

会には、未来を担う子どもにも参加してもらっています。大人だけで将来のことを話してもだめなんですよね。子どもが同じ場にいれば、大人は変なことは言いませんし、子どもにとって、大人がどういう話をしているのか知るのはとても大事なことだと思います。地域づくりをする上で、子どもだって戦力なんです。

私たちが始めたことがきっかけで、子どもたちが自ら「口永良部島の未来を語ろう会」という集まりを開いたことがあります。内容は大人顔負けですよ。みんな、自分ごととして未来を考えています。子どもの頃から島に愛着を持ってもらうことが、島を盛り上げる上で、一番大事なんじゃないかと思います。

僕がこの島を好きな理由は、極めてシンプルです。それは島のみんなが出した島で生きる理由とも一致するんですけど、結局、それぞれの人に役割があって、お互いに生かされていることを実感できるところが好きなんです。無駄な人がいない。生きてる価値や喜びがあるから、この島に暮らせるんです。

みんなに役割があると思うと、嫌いな人なんていなくなります。不平不満が出てくることも、全部愛おしく感じるんです。気安く文句を言える環境があるって、気づかせてもらえるきっかけがあるということ。すごくいいことなんです。

また、ここはものが少な過ぎるので、必然的に自分の頭を使って生きていくことになります。完全に機械化されていないから、生きてる実感があるんです。自分が課される環境で、何をするにもチャレンジの甲斐があります。何もないから、新しいものを生み出す。そういう魅力があります。

多くのことに都会的な便利さを求めている人には、この島は合わないと思います。不便さの中にある豊かさも感じられる人じゃないと厳しいですね。

今後、若者の移住は最重要課題。何もない環境でチャレンジすることに魅力を感じる若い人にたくさん来てほしいですね。仕組みを整えて、何かをやってみたい人を、全力でバックアップする島にしたいです。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

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