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離島経済新聞

 

インタビュー

【国境離島に生きる】 自然の中で暮らしたい。|毛利 哲さん

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

自然の中で暮らしたい。
充実した仕事を辞めて移り住んだ島での日々。

鹿児島県の屋久島にて、地元の素材にこだわって、島唯一のジェラート店を営む毛利さん。仕事で充実した毎日を送る中、屋久島への移住を決断したきっかけとは?お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

毛利 哲。屋久島ジェラート そらうみ オーナー。

アメリカで好きになった自然

東京都大田区で生まれ、父の転勤で2歳から4歳までアメリカのカリフォルニアで、その後は横浜で育ちました。幼少期は目立ちたがり屋でした。友達と野球やドッジボールをする時は、盛り上げるタイプでしたね。

9歳の頃、父の転勤で、カリフォルニアのオレンジカウンティに行くことになりました。結構楽しみでしたね。ただ英語が話せないので、語学の心配はありました。実際に現地の学校で英語は相当苦労しましたし、ストレスもありました。子どもだったから覚えるのは早かったんですが、聞いて話す、会話ができるようになるまでに2~3年はかかりました。

それでも、日本に帰りたいとは思わなかったです。アメリカの学校の部活動は、シーズンによってバスケットボールやフットボールなど種目が変わっていくんですが、部活動に参加していると英語がそんなにできなくても、なんとなく友達ができていくんですよね。差別は多少ありますけど、激しくはないですし。日本語を忘れないように、週1回だけ日本人の補習校にも行きました。

アメリカにいる頃、家族旅行に行くことも多かったです。グランドキャニオンやヨセミテ国立公園、イエローストーン国立公園など、自然が多い場所によく行きました。

それで、自然ってすごくいいなぁって思ったんですよね。特に好きだったのはヨセミテです。大木のある森で、大きい岩壁があるんです。部屋にもたくさん自然のポスターを飾っていました。

仕事で充実した毎日

15歳の頃、日本に帰国することになりました。その時ちょうど人生の中で、アメリカ生活と日本生活が半々だったんですよ。自分にはどっちが合うんだろうと考えました。アメリカも好きでしたが、なんとなく将来は日本で働くんだろうなって思っていましたね。

また、父がサラリーマンだったので、自分もサラリーマンになるんだろうと思っていました。そこに何の疑問も持たなかったですね。良い大学に行って、良い会社に勤めるのが、一般的に正しいのかなと。

進学した公立高校も、大学に行くのが当たり前の環境でした。もう一度海外で暮らしたいと思っていたので、高校卒業後は、海外留学をしないと卒業できない大学に進みました。

大学時代は遊んでばかりでしたね。飲み会が多かったです。アメリカのワシントン州に留学した時は、サイクリングで遠い山までキャンプしながら行ったこともあります。授業をサボったので、めちゃめちゃ怒られたんですけどね。勉強はしませんでした。

3年生になって就職活動をする時、海外生活が長くて英語も話せたので、その得意分野を活かせるような企業に入りたいと思いました。不景気でなかなか就職先が見つからない状況の中、内定の出た大手レコード会社に入社しました。

音楽よりは、どちらかと言うとグッズ関係の、流行りものを探し出すような仕事に携わりたいなと思っていました。たまたまその希望が叶って、グループ会社でキャラクターグッズの仕事をすることになりました。日本のキャラクターを輸出したり、海外の版権を扱ったり、中国にグッズの生産拠点があったり、グローバルに英語を活かせる仕事でした。

人事異動が多い会社だったので、海外との渉外セッションや貿易、資材購買など、人事・総務・経理以外はほとんど何でもやっていましたね。海外出張も多かったです。

仕事は楽しかったです。一番長くやったのは、キャラクターのプロデューサーです。自分が育てるキャラクターを試行錯誤しながら売って、人気が出た時や、売れると見込んで作ったグッズが実際に売れた時など、やりがいを感じました。

海外で超有名なキャラクターの著作権者にプレゼンして上手く契約できたのも、すごく嬉しかったですね。会社自体は不景気で、人が減り責任が重くなるけど給料はあがらないというジレンマはありましたが、仕事はすごく充実してましたね。

屋久島との出会い

妻とは26歳で結婚して、よく一緒に旅行をしました。リゾート系のゆったりしたところにいき、自然の中をなんらかのアクティビティをすることが多かったです。スキューバダイビングのため、モルディブに10回以上行きましたし、沖縄も多かったです。

山登りだと自然遺産というキーワードで、日本だと屋久島や白神山地ですよね。他にも海外だとマレーシアやインドネシア、タイ、フィジー、ハワイ、ニュージーランドとか。キリマンジャロも一緒に登りました。他にも知床や奄美大島も行きました。

33歳の時、妻との旅行で初めて屋久島に来ました。空気と水が良くて、すぐに虜になりました。森の中を歩いていると、沢が流れていて、「ここの水は飲めるんだよ」って言われるんです。水の中にコップをいれて、普通に飲むと、とても美味しくて。水が本当に美味しい場所って少ないですよね。景色は綺麗でも、水はそんなに美味しくない場所が結構あるんです。

他の場所でもできるかもしれないけど、僕にとって屋久島での経験はすごく素敵な思い出だったんです。それで、いずれこういうところに住みたいなという気持ちが芽生えました。

昔から自然が大好きで、いつかは自然に囲まれて暮らしたいとは思っていたんです。大好きなスキューバダイビングも、山登りも沢登りも好きで、そういったものが全部いっしょくたにできる場所に住みたいという憧れがあって。年々その想いが強くなって、屋久島であれば全部実現できると思ったんです。

初めて屋久島に来た3年半後に、もう一度屋久島に行きました。その時には、一応物件を見せてもらおうと、妻には内緒で不動産会社に連絡しました。いずれ住めたら良いなぁという程度でしたが、仮に不動産を買ってしまっても、無理だったら売れば良いかなという気持ちもあって。移住予定は全然ないけど、別荘という考え方もありなんじゃないかと。妻と相談して、屋久島で家を買いました。

移住・ジェラート店開業の決断

それから8回ほど、屋久島に旅行で来ました。何回も来る間に、だんだん本当に住みたくなってきたんです。飽きたり、嫌なところが見えたりすることもなかったんですよね。どんどん気持ちも具体的になって。旅行の時に、住んでいる方に話を聞いていたので、正直不安もなかったんですよ。人付き合いさえ上手くいけば大丈夫かなって。屋久島に住む準備を進めました。

最終的に移住を決めたのは40歳の時。妻と旅行でアフリカのタンザニアに行った時でした。ヌーの大移動や果てしなく続く地平線など、アフリカのものすごく大きい大地を眺めていた時に、やっぱり自然の中で暮らしたい。このまま会社で一生終えていくのは嫌だな。そう思ったんです。それが決定打でした。

屋久島に仕事はあまりないですし、どこかに勤めるより自営業のほうが理想の暮らしができると思いました。何をやろうかと考えていた時、奄美大島でジェラート店に出会いました。

そのお店は、地元の食材を使ったジェラートを提供していて、すごく繁盛していましたし、本当に美味しかったんですよね。屋久島にはジェラート店がなかったので、これだったらいけるかもしれないと思いました。それから、たまたま通勤途中の場所で開催していたジェラート講習会を見つけて、会社帰りに何回か参加するなど、準備を進めました。

移住の不安がないと言えば嘘ですが、旅行中に泊まった宿の経営者とか、結構みなさん移住者なんですよね。そういう方たちが生活できているので、自分ができないわけないだろうという気持ちはありましたね。

あとは、いつ仕事を辞めようか模索していました。経済的な部分でなかなか踏ん切りがつかなかったんです。会社で何年かに一回は早期退職の案内が出ていたので、それを待っていました。42歳の頃、たまたま早期退職の対象になる時があり、そのタイミングで退職しました。

妻は最後まで生活面でやっていけるのかと悩んでいたので、得意のプレゼンで説得しました。(笑)ジェラート店だったらこのくらい収入が得られて、年間でこのくらいの支出だったら生活していけるでしょう、という感じで。あとは家族ですね。妻の母が一人になるので心配という気持ちもありましたが、移住をやめようとは思わなかったですね。

それで、2013年1月に屋久島に移住しました。

屋久島の素材を活かす

現在は、屋久島で「そらうみ」というジェラート店を経営しています。移住してすぐに始めるつもりでしたが、大工さんの病気などがあって、お店を開いたのは移住した1年半後です。それまでは、山に遊びに行ったり、サーフィンをしたり、ゆったりしていました。

商品を作る上で、できるだけ屋久島のものを使うようにしています。屋久島ではたくさん果物が獲れるのに、うまく活かしきれていないと感じたので、商品として売れない規格外のものを農家さんから買ったら、お互いハッピーかなと思ったんです。

店の繁忙期はGWと夏ですね。夏は観光客が多いので、ラインナップを全て屋久島の素材を使ったジェラートにします。ドラゴンフルーツやマンゴー、ポンカンなど果物の種類は多く、その中でもタンカンが一番の名産ですね。採れる時期が決まっているので、一年中提供できるように加工して保存しています。

あくまで屋久島の素材を使って、変わった味を作りたいと常に考えています。例えば「屋久島地杉&レモン」は、最初はただのレモンの味だったんです。でも、それでは屋久島に遊びに来たお客さんにとって魅力的じゃありません。それで、アロマオイルのお店の人と話していた時、屋久杉の香りを使ったジェラートができないかという話が出て、レモンと合わせてみることにしたんです。そうすると屋久島素材のジェラートになる。そういうちょっとしたアイデアで作っています。

あとは、山の野苺を摘んでジャムを作ることもありますね。オフシーズンは地元の方が多いので、島にないものでジェラートを作ります。例えばチョコレートなどが人気です。

自営業がこんなに忙しいとは思ってもいませんでした。スローライフのイメージがあって。いつでも遊びに行けるのかなって想像を膨らませていたら意外に忙しいですね。特に屋久島は草が伸びるのが早くて、草刈りに時間をとられていますね。お店の食材のため、農家さんのお手伝いにも行くので、お店と両立するのも大変です。幸い、お店に来てくださるお客さんが多いので、ジェラート店を辞めようとは一切思わないですね。

今のところは、屋久島に一生住みたいと思っています。

全国的に人口減少が話題ですが、屋久島も例外ではなく、人口も観光客も減っています。行政がどういう対策をするか不安はありますね。自発的に個人で観光客を増やそうと言ってもなかなか難しい。観光客を呼び込もうという行政の姿勢がなかったり、人口を増やすと言っても快適なインターネット環境がなかったり。移住者や島の人の間では、それが整えばもっと企業誘致できるのに、という話が出ます。

でも住んでいる人にとってはインターネット環境は必要ですが、旅行に来た時にちょっと解放されるとか、そういう不便さ、素朴さはすごく良いと思うんです。自然が好きな人にはおすすめです。

山も山頂に登るだけでなく、森の中を歩くのも楽しい。海も川もあります。車を運転していて、山が見えて、山や海に虹がかかる。わざわざ山登りに行かなくても、そういった風景が日常的に見られます。屋久島は、綺麗な虹を見たり、夕日を見たり、いつでも海を見れたり、そういう日常の瞬間的な出来事が一番幸せですね。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

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