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インタビュー

【国境離島に生きる】 種子島で目指す、家族の「心のふるさと」。|風間辰広さん

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

お金より大切にするものがある。
種子島で目指す、家族の「心のふるさと」。

鹿児島県の種子島で、観光客向けの民宿を運営する風間さん。16歳で社会に出て、厳しい飲食の世界で働く中で家族に教えられた、「本当に自由な生き方」とは何か。現在の暮らしに行き着くまでに、どのような経験と想いがあったのでしょうか。お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

風間辰広(かざま・たつひろ)。種子島にて「島宿HOPE」を運営する。

人より早く自立しないといけなかった

東京都荒川区で生まれました。小さい頃から、割と活発な性格だったと思います。小学校5年生の時に両親が離婚して、母親と町田に引っ越しました。母子家庭で苦労することが多くて、なんで他の家とは違うのかって母に反発することが多かったですね。

高校は1年で中退しました。家が貧乏だったので、ずっとバイトをしていました。早く社会に出て、お金を稼がないといけなかったんです。16でお金のことを考えないといけないことが、とてもつらかった。親を恨んだし、自分の運命も恨みました。

社会で潰しがきくように、手に職をつけなければと思い、料理人を目指すことにしました。板前に弟子入りして、住み込みの修行が始まりました。

下っ端は、ひたすら皿洗いや魚の鱗はがしや内臓の処理をします。鯛を片手で持ってたら、先輩に「身が割れるだろ!」って思いっきりひっぱたかれるような環境で、俺より鯛が大切なのかって思いましたね。めちゃくちゃ厳しい世界でした。

同期の弟子たちは何人も辞めていったんですが、俺は続けました。他に逃げる場所がなかったんですよね。やるしかない。人間やるしかなかったらできるんですよ。家に帰って普通に美味しい飯が食えて、普通に生活できるんだったら、頑張らなかったと思います。

そこで2年修行した後に、群馬の温泉宿で働き始めました。1泊10万円近くする、著名人や芸能人も泊まりにくるような高級宿でした。

料理も時間と技能を最大限かけて、高級なものを提供するんですけど、よく残されて返ってくるんですよ。先輩たちは「また味の分かんない奴がきたよ」って言いましたが、俺はなんか違うと思ったんです。

だって、牛丼は安く早く作れるのに、誰が食べても美味しいじゃないですか。それに比べて、ここでやっていることは、一握りの人にしか満足してもらえない料理。俺が望んでるのは、もっと世間の多くの人たちに満足してもらえる料理だと思ったんです。

料理人の進む道は、独立するか、板場の世界でトップを目指すかのどちらか。俺は、自分の提供したい料理で勝負するために、独立しようと思いました。

ただ、バブルがはじけた頃で、周りでも独立後に失敗してしまう料理人を数多く見ました。よくあるのは、料理人としての腕はあっても、店の経営を知らないために失敗してしまうパターンです。自分が将来そうならないために、ホールの運営や経営も身につく環境に身を置いて準備しようと、大衆居酒屋チェーンの会社に転職しました。

働いて見えた「お金より大切なもの」

居酒屋の社員として、配属された店の厨房やホールで働きました。高級板前から飲食チェーンの業界に入ったとき、その違いにはかなり驚きましたね。手頃な価格で、手間もあまりかけずに美味しいものを提供できるんだって。仕事も早いし、オペレーションも整っていて、純粋にすごいと思いました。

仕事は楽しかったですね。努力した分だけ成果がでるんです。例えば、ティッシュ配りでも、ただ配るのではなくて、近隣の企業に飛び込みで営業したりすると、俺のこと覚えてくれて、店舗を異動しても、ずっと通ってくれるお客さんができたりするんです。

結果を出して昇進できることがやりがいでした。店舗スタッフから店長になり、それからエリアマネージャー、さらには営業の総括をするようになりました。ただ、就業時間は長くて仕事量もどんどん増えて、飲食業界の厳しさも感じていました。

また、他の多くの企業と同じように、昇進すればするほど、組織内での政治に巻き込まれていきました。それまでは、お客さんにいかに喜んでもらって対価をもらうか、シンプルに考えればよかったんです。そこに、足を引っ張り合うような出来事が起きるようになって。お客さんのために一生懸命やってるやつがバカをみる状況に、うんざりしてましたね。

しかも、全国の営業の統括なので、転勤は全国当たり前。家族には迷惑をかけました。結婚して子どもができたときには、中国地方担当になって神奈川から引っ越すことになりました。でも、仕事が忙しくて手伝えないんです。奥さんを広島の新幹線乗り場まで迎えに行った時に、ちっちゃい赤ん坊連れて、泣きながらやってきたんですよ。ああ、これは本当にどうにかしないといけないって思いましたね。

16で社会に出た時は、お金さえあれば自由に生きていけると思ってました。でも働いて分かったのは、お金以上に大切にしないといけないものがあるってことでした。

その後、大阪・京都に転勤になって、「寺田屋」という坂本竜馬ゆかりの宿に泊まった時に、これからの人生について考えたんですよ。竜馬は31歳で亡くなるまでに、時代を動かすほどの偉業を成し遂げた。俺も竜馬が死んだ年に近づいてるのに、この生活を続けるべきなんだろうかって。

今の仕事をしていれば、大変だけど、生活は安定します。でも、このまま転勤生活をしながら、仕事にばかり時間を取られていたら、家族に苦労をさせてしまう。俺には独立する夢があったはずだし、何より家族をこれ以上犠牲にしたくない。変えるなら今しかないって思って、新しい生き方にチャレンジすることを決めたんです。

種子島の心地よい空気感

独立すると言っても、東京で店を出したらまた仕事に追われる生活になります。旅行で訪れた沖縄が気に入ってたので、住むなら南の島にしようと思いました。すると、友人から鹿児島県にある離島、種子島を勧められました。それで種子島に来てみた時、島の空気感というか、なにかピンとくるものがありました。

種子島は幹線道路が通っていて交通の便はいいですし、学校や病院もあります。また、移住者が多く住んでいるので、コミュニティに受け入れられやすい環境です。移り住むにはとても良い場所だと思ったんです。自分たちも住む以上は、島の全てを受け入れる気持ちで、移住の覚悟をきめました。

島に移住したのは、34歳の時でした。暮らしてみて気づいたのは、島の住人たちの人の良さ、とても居心地のいい空気感でした。島の人たちは移住者を歓迎していて、他の移住者も優しい。事情を察してくれる人たちなので、疎外感を感じず、とてもいい気分で過ごすことができました。

はじめは知り合いの農家を手伝ったり、漁師の定置網漁を手伝ったりして収入を得ました。また、サーフィンで有名な場所なので、サーフィンに挑戦したり、色んなことをやりました。

島では、自分の料理を提供する店を出すつもりでいました。島の経済的にも観光客を迎えられるといいなと思っていたのですが、住んでいた南種子町の周囲には、一般の観光客が宿泊できる宿がほとんどありませんでした。宇宙センターが近くにあって、宇宙開発の関係者が滞在するための施設があるだけでした。

地元の人たちからも、仕事で来るお客さんを相手にするしかないと言われました。でも、種子島は自然が豊かですし、外から来た身としては、観光できた時に泊まれる宿がほしいと思いました。誰もやらないなら、俺が観光客向けの宿をやればいいんだと思ったんです。

もし島民の人向けに飲食店を作ったら、島内消費だけで終わってしまいますが、観光客向けの宿を作れば、外の人を招いて、自分たちの宿だけでなく島に住む周りの人たちの稼ぎにもなると思ったんです。居酒屋にいた頃は競争ばかりの消耗戦でしたが、島に来て、共存共栄する大切さが、身にしみて分かったんです。宿泊業なら、同じサービス業として、飲食店で培ったものがいかせると思いました。

家族の「心のふるさと」を目指して

今は、知り合いの漁師さんの定置網漁を手伝いながら、観光客向けの宿「島宿HOPE」を運営しています。漁に出ることで収入を得つつ、取れた新鮮な魚を宿で提供することができます。

漁に出て生産側の苦労を身にしみて感じます。これまで働いていた飲食業界って、産業の一番最後の部分でしたから、その大変さが見えていなかったんですよね。だからこそ、その素材を生かした地のものをお客さんに提供しようと思うんです。

種子島の食材は、素材が新鮮で本当に美味しい。東京で料理人をしていた頃は、高級な食材を何時間もかけて料理していたけど、種子島では素材が素晴らしいからこそシンプルな料理で提供しているんですよ。それをお客さんに喜んでもらえて、料理人として満足しています。

東京から種子島に移住して、不便になったことは色々あるとは思います。でも気持ち的に「足るを知る」っていうか、お金がなくても最低限のもので暮らしていける中で、生き方や考え方がシンプルになっていきました。

島の暮らしは、生活のためにやることがいっぱいあって、基本的にはスローライフじゃなくハードライフなんですよ。宿を運営しながら、漁に出て、たまに畑仕事もするし、暇にはならないですよね。でもやっぱり家族が一緒にいて、子どもの成長も近くで見ることができて幸せなんです。精神的にはかなり充実していますね。

宿はお客さんにとって、種子島への入り口になって欲しいです。豊かな生態系と宇宙センター、自然と科学っていう両極端の物が共存する特別な場所を楽しんで、島の心地よい空気感も感じてもらいたいですね。

うちの宿は、都心で生きづらさを感じている人、特に家族連れにおすすめしたいです。都心で育児をしながら暮らしていると、電車や街中とか気を遣って大変だろうと思います。島では子どもたちに思いっきり遊んでもらいたいですし、親にも、子どもが大声出したり、泣いたりしても、気兼ねなく過ごしてほしいです。

そんな何気ない時間が、最高の日常だと思うんですよ。ホテルとかは「非日常」を演出するけど、うちでは、家族が一緒に楽しく過ごす当たり前の時間、それを「最高の日常」として提供したいんです。

種子島の人たちって、ここで育ったアイデンティティみたいなものがあって、地元愛が強いんですよ。俺は生まれ育った東京に対して、あんまり故郷って感覚はないんですよね。それはちょっと寂しい。

だから自分の子どもたちには、種子島を心のふるさとにしてあげたいんです。子どもたちにとって、一番大事な時期はここで育ててあげたい。いつか違う場所で暮らしても、帰ってこれる場所だったり、安心できる場所として、心の根っことなる部分を作れたらいいですね。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

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