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インタビュー

【国境離島に生きる】 サーフィンに魅せられて離島へ。|小早 太さん

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

サーフィンに魅せられて離島へ。
都会では実現出来ない理想の暮らし方。

鹿児島県の種子島でグラフィックデザインやサーフボードの製造販売を手掛けながら、サーフィンを楽しむ生活を送る小早さん。大阪でデザイナーとして多忙な日々を送っていた小早さんが、島に移住して感じた心地よさとは?お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

小早 太。デザイナー。合同会社マイマイ企画としてグラフックデザイン、オリジナルサーフボードの製造販売を行う。

美術に打ち込んだ10代

大阪府北区で生まれました。小さい頃は、絵を描くのが好きな、おとなしい子どもでした。漫画を描くのも好きで、キャラクターのイラストを描いて友達に見せたりしていました。将来は、画家になりたいと思っていましたね。

うちは祖父母も大阪なので、周りの友達のように夏休みに田舎にある祖父母の家に行って、自然の中でクワガタを捕まえたり、気軽に海に行ったりすることがありませんでした。夏休みが終わって、田舎での楽しかった思い出を話す友達が羨ましかったですね。

そんな僕も、小学生になった頃から、自治体が主催するキャンプに行かせてもらえるようになって、自然と触れ合うチャンスを得ました。星が綺麗なところや自然に囲まれた田舎で暮らしたいって思うようになりましたね。

中学生卒業後は、美術科の高校に入りました。両親も美術系の仕事をしていたので、理解を示してくれましたね。ただ、進路を決める頃には、変に大人に考えるようになっていて、美術では食べていけないなと思っていました。仕事にするなら、アートではなくてデザイン。そう思い、大学は美大のデザイン科に進みました。

大学に入ってからは遊んでばかりでしたね。飲んだり、友達と遊んだり。あとは必死にアルバイトして年1回は海外旅行をしていました。

卒業後は、大阪のデザイン事務所に就職しました。強い意志があったというよりは、そこに入れたから勤めたっていう感じでした。主に企業の商品カタログや新聞広告のデザインを担当しました。

学生時代は自分の気が済むまで好きなようにデザインしてましたけど、仕事となるとクライアントの意向を汲む必要があります。そういうことは学校では教えてもらっていなかったので、戸惑いましたね。また、忙しくて、寝れない、帰れないのが普通でした。きついと思いながら毎日働いてましたね。

憧れの田舎暮らしをする移住の決断

仕事は忙しかったんですが、プライベートでサーフィンを始めました。大学時代の友達とせっかく社会人になったことだし新しい趣味を持とうという話になり、見様見真似で始めたのがきっかけでした。

サーフィンは一発でハマりましたね。まず、大好きな海に行けることが楽しいんです。それに、波に乗った時の感覚というか、五感全てが研ぎ澄まされる感じは、一度経験したらやめられなくて。どんどんのめり込みました。

仕事が終わった土曜日の夜に大阪を出発。徳島、静岡、愛知辺りの海まで移動して、日曜日は朝から一日中サーフィン。日付が変わる頃に大阪に帰って次の日仕事に行く。そんな生活をしていました。

サーフィンをする休日と、激務の仕事とのギャップは大きかったですね。5年ほどで同業種の会社に転職したんですが、結局、気持ちがいっぱいいっぱいになって、都会で暮らすことに限界を感じました。サーフィンが日常的にできて、自然がいっぱいの離島に移住したいと考えるようになりました。

ただ、生活が成り立つのか不安があって、なかなか決断することはできずにいました。すると、体を壊してしまい、入院しました。肺に穴が空いていたのですが、医者に原因を聞いても分からないと言われました。

絶対にストレスだと思いましたね。体を壊してしまうほどなら、都会での暮らしはもう無理だと、覚悟が決まりました。

それから、移住先を決めるために、石垣島や奄美群島など改めて島を見て回りました。ただ、沖縄の離島や奄美の島は、南国の島って感じで、琉球文化がちょっと強すぎると思ったんですよね。もうちょっと、日本の田舎っぽいところがいいなと思い、最終的には鹿児島の離島、種子島に決めました。

種子島は面積も大きいですし、人口も多くて、あまり離島っぽくないんですよね。それでいて、海は綺麗でサーフィンをするには絶好の場所。暮らすにはちょうどいい場所だと思ったんです。

移住すると決めてからは種子島に行く度に、印刷会社などの面接を受けました。ただ、デザナーを雇う余裕のある会社はなくて、デザインの仕事は島では無理だと思いました。それでも、農業でもいいし、自分にできることを見つけようと思ったので、移住を取りやめようとは思いませんでした。

ともかく移住したいという気持ちが強かったですね。不安もありましたけど、それ以上にやってやるって気持ちや、ワクワク感が上回っていました。種子島は移住者も多かったので、行ってしまえば何とかなるって思いました。

それで、33歳の時、車に家財道具一式と最低限の荷物を詰め込んで、種子島に移住しました。

サラリーマンではないやりたいこと

島での生活は家探しから始まりました。田舎で家を探すのって大変なんですよ。不動産屋があるわけではなくて、人の紹介じゃないとだめだったりするので。移住をサポートしている団体の人に手助けしてもらって、何とか家を見つけることができました。

仕事はサーファー仲間に紹介してもらって、すぐに見つかりました。サーファーのネットワークってすごいんですよ。島には先輩サーファーがいっぱいいて、移住者を受け入れてくれる土壌がありました。僕より10年以上前に移住してきた人は相当苦労されたらしいんですけど、その人たちが移住しやすい環境を作ってくれていたんです。

居酒屋でバイトしたり、農家を手伝ったり、新聞配達をしながら、それ以外の時間は朝から晩までサーフィンをする、夢のような生活が始まりました。田舎暮らしと言っても最低限のものは揃っていて、不便と感じることはなかったですね。

次第に、「デザインができるなら、うちのホームページ作ってよ」と、デザインの仕事を頼まれるようになりました。チラシを作ったり、ホームページを作ったり、来てみると意外とデザインの仕事があることが分かりました。

次第にデザインの方が忙しくなってきて、ついに役場で契約社員として働くことになりました。ホームページを作ったり、広報関係を任されました。ただ、僕は自分で暮らしを作りたかったから種子島に来たわけで、サラリーマンをするためではありませんでした。

それで、2年ほどで役場をやめさせてもらい、個人でデザイン事務所を作ることにしました。デザインの仕事を個人で始めました。島の宿泊施設のホームページや、カタログ、商品のパッケージを手掛けるようになりました。また、島外からの仕事も依頼されるようになりました。

それから家族も増えました。サーフィンを通して島で知り合った、同じく移住者の女性と結婚して、子どもも産まれました。

海と自然に囲まれた理想の暮らし

今は、合同会社マイマイ企画という法人を経営して、グラフィックデザインの仕事だけでなく、オリジナルサーフボードの製造、販売もしています。

サーフボード制作は、移住してきたサーファーの中にボードを作っている人がいて、「島の中だけでやっているのはもったいないから、島外のサーファーに提供しない?」って声をかけたのが始まりですね。

北は新潟から南は福岡まで全国各地のサーフショップにおろしています。うちへの直接注文もあって、種子島にサーフボードを直接取りに来るお客さんもいますよ。そんな時は一緒にサーフィンして夜は飲んだり。いい付き合いをさせてもらっている人がいっぱいいますね。

今はサーファーだけじゃなくて、田舎で暮らしたい人や、リタイアして第二の人生を歩む人などで島に移住して来る人は多いですね。種子島は島の人たちが外から来る人に対してそんなに排他的ではないし、地域の関係も密だったりするので、そういったところが居心地の良さに繋がっているのかも。安納芋の収穫時期には、おすそ分けでもらう安納芋がダンボール数箱分あったりします。(笑)

子どもが夜中に熱を出したら病院まで1時間かかることだったり、場合によっては鹿児島まで行かないといけないとか、多少の不便さはありますけど、日常生活で困ることはないですね。逆に、今では大型家電店の壁一面に並んだ商品とか見ると気持ち悪くなったりします。選択肢の多い不便さの方が苦手ですかね。

移住してきて12年経ちますが、種子島の中では今でも外野感はありますし、逆にそれを忘れちゃいけないと思います。地元の人を一番尊重すべきですよね。

それと、地域が円滑に発展していくには、言うだけじゃなくて自分で動くことが大切だなと思いますね。動き続けること。行動で信頼関係ができて次に続きますよね。行政の補助金を受けての事業なども、やりっぱなしではなくてそのあとのフォローが重要で、成功するまでの継続が、島の発展のためには大切なのかなって思いますね。

毎日、波がよかったら1時間ぐらいは海に入って、それ以外は仕事をするのが僕のスタイルですね。今、理想に近い生活だなって思いますね。海が綺麗、星が綺麗、今では当たり前になっちゃって、一つ一つの感動は薄れてきますけど、家族と自然の中で暮らしている喜びを感じますね。これからも、この理想の暮らしを続けていきたいです。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

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