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離島経済新聞

 

インタビュー

【国境離島に生きる】 海洋物理研究者から漁業の現場へ。|銭本 慧さん

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

海洋物理研究者から漁業の現場へ。
持続可能な水産業の実現を目指して。

長崎県の対馬で、新鮮な魚を全国に直接販売する仕組みづくりを行う銭本さん。ご自身が釣った魚も販売しています。海洋研究者として水産資源の研究に取り組んでいた銭本さんが、漁業の現場に飛び出した理由とは何だったのでしょうか。お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

銭本 慧(ぜにもと・けい)。合同会社フラットアワー代表。魚の直販、ブルーツーリズムの提供、水産教育、研究コーディネートなどを行う。

大の釣り好き少年

大阪府で生まれました。海が好きな父親の影響で、物心つく頃には釣りが大好きでした。小学校卒業と同時に兵庫県明石市へ引っ越してからは、家から3分歩けば海という環境。休みの日はいつも釣りをしていましたし、親が寝静まった後に一人で夜釣りへ出ることもありました。

小さい頃は、両親が魚を捌いてくれましたが、一人で釣りに行くようになってからは自分で捌くようになりました。釣るのも、捌くのも、食べるのも好きでしたし、近所の人にお裾分けして喜んでもらえるのも嬉しかったですね。

通学路に漁港があって、毎朝登校する時、働く漁師さんの姿を見ていました。漁師に憧れて、そのまま漁港に就職することも考えたんですが、親には大学進学を勧められました。じゃあ何を勉強するかと考えた時、魚や釣りが好きな僕には水産学以外は頭に浮かびませんでした。それで、いくつかの大学のパンフレットを見て、海が一番綺麗で魚が釣れそうだった長崎の大学に進学することにしました。

大学に入ってからは、大型の手漕ぎボートであるカッター部の活動と釣りに明け暮れました。カッターの練習はきついんですけど、価値観の異なるメンバーと同じ目標に向かって取り組むことの難しさや面白さを感じることができました。艇長として出場した全国大会で3位の成績を収めました。

部活がオフの時は釣りです。カッター船が停泊している目の前が漁協だったので、釣った魚は練習前に漁師さんに渡していました。すると、練習後にはお金に変わってるんです。寝る暇はほとんどありませんでしたが、水産業の仕組みがよく分かりましたね。

大学卒業後は、大学院に進学しました。それまでほとんど勉強していなかったので、水産学をちゃんと勉強したいと思ったんです。

興味を持った研究テーマは「うなぎ」でした。うなぎって川に生息しているんですけど、産卵は海で行われます。その産卵場所は、まだ解明されていませんでした。その謎を解いたら養殖業などにいかせて儲かりそうだったので、興味を持ったんです。

うなぎの産卵場所を突き止める

僕が入った研究室は、うなぎ自体の生態を調べるのではなくて、うなぎが生息している場所の海流や水温、塩分など、外部環境の物理データを調べることがメインでした。直接うなぎに触りたかった僕としては、ミスマッチだったかなと思いましたね。

ただ、うなぎの産卵場所を突き止めるのがいかに難しいかを知れば知るほど、うなぎ研究の面白さにのめり込んでいきました。それで、日本で一番うなぎの研究が盛んな東京大学の研究室に進みました。

大学院に進んでからも研究テーマとしては海洋物理学でしたが、うなぎ研究の第一人者の教授と一緒に船に乗り、うなぎの産卵場所を突き止めることに打ち込みました。うなぎの生態はかなり研究されていたんですが、海洋物理学的なアプローチはあまりされていなかったんです。

うなぎは、親うなぎが産卵してから、およそ1日半で孵化します。赤ちゃんうなぎが取れる場所から、ある程度の産卵場所は突き止めていたんですが、卵は見つかっていませんでした。赤ちゃんうなぎが1日半前にどこにいたのかを突き止めるために、海洋物理学が求められたんです。

大学院3年目の時に、教授はうなぎの産卵場所を突き止めました。マリアナ海溝付近で、世界で初めてうなぎの卵を取ったんです。嬉しかったですね。僕は最後の一歩に立ち会っただけですが、物事を突き詰めて成果を出すという研究の醍醐味を感じられました。

研究の面白さに触れたことで、大学院を出てからも海洋物理学の研究を続けたいと思いました。研究者として、日本の水産業を強くしたいと思ったんです。中学生の頃から毎朝見ていた漁港で働く人たちの姿が頭にあって、少しでもいいから彼らのために自分ができることをしたいと思いました。

うなぎ研究の成果が認められ、博士課程終了後も3年間は研究を続けられることになりました。

自分にしかできないアプローチ

研究の一つとして、うなぎの減少と海流などの自然環境の変化の関係性について調べました。水産資源の量はどのような要因で変化するのか。自然環境の変化と人間活動、どちらも影響はあるんですけど、僕は自然環境の変化の方が影響が大きいと思って研究を進めていたんです。

ところが、研究を突き詰めていくと、少なくともうなぎの長期的な減少傾向に関しては、海流などの自然環境の影響だけでは説明できませんでした。研究をしている間にもうなぎはどんどん減り、ワシントン条約で絶滅危惧種に指定されるほどになりました。

自然環境の影響が小さいなら、原因は乱獲などの人間活動。漁業者が魚を取りすぎてしまうことが資源量の減少を招いていると考えています。

乱獲に対して、先輩の研究者の方は、水産業自体の仕組みを変えなければならないと話していました。むしろ、仕組みを変えようとしないことが問題だと。他国では、資源量が右肩下がりで落ちていたところから、ルールを作る機関がしっかりと舵取りをして、持ち直した事例がたくさんあるんです。その話を聞き、産業構造自体を変える必要があるのかもしれないと思いましたね。

日本の水産業のために何かしたい。一方で、研究をしていると、どうしても論文を書くことが求められます。論文を書くことだけが、僕が水産業に貢献できる唯一のアプローチなのか。産業全体を俯瞰して見た時、疑問が湧きました。

周りの研究者は、僕なんかよりずっと優秀で、その人たちよりインパクトがある研究をできるのかも分かりません。それなら、自分にしかできない方法で、純粋に水産業のためになる取り組みをしたい。そんな気持ちが強くなりました。

元々、僕はうなぎとか生物に直接触りたいという気持ちがあったので、研究ではなく、直接魚を触ったり、漁師さんの近くで資源を増やすようなアプローチをしたいと感じました。昔から漁師さんと関わっていましたし、漁師さんの気質が好きでした。自分には現場が適していると思いましたね。

優秀な研究者はたくさんいますし、思いを持った大学の仲間が省庁に入っていたので、僕は現場で調整役をできるんじゃないかと。資源管理に成功した国はどこもそうなんですが、仕組みやルールが変わる時に、漁業者は必ず反対しますし、現場は大混乱になります。そうなる時までに、現場の中からある程度仕組みを作れば、混乱を最小限に抑えられるのではないかと考えました。

乱獲を防ぐために必要だと思ったのは、既存流通以外の販売ルートを作ることでした。漁師さんは普通、魚を獲ったら漁協に魚を出しますが、その後いくつか仲買を通すので、漁師さんの手元に残るお金はかなり少なくなります。また、どんなに良い魚でも、流通過程で産地のタグはなくなり、九州産・長崎産など大きなくくりになるので、ブランド力と共に価格が下がります。鮮度を保ったまま全国に直接届ける直販の仕組みを作り単価を上げれば、漁師さんの手取りを増やすことができます。少量でも稼げるようになれば、乱獲防止に繋がります。

それで、3年の契約が終わるタイミングで研究者をやめて、現場に入ることにしました。現場の漁師さんたちが獲った魚を、僕が売るような仕組みを作ろうと思ったんです。

長崎の離島、対馬に移住

検討した移住先は五ヶ所ありました。対馬、五島の福江島、小値賀島、西海市、宗像市と長崎を中心に九州各地を視察しました。各土地のキーマンに連絡して、漁師や漁協の人と話しました。

最終的には対馬に移住すると決めました。対馬は、視察時に市役所の人がとても丁寧に工程表を作ってくれましたし、市長も「ぜひやろう!」と乗り気で、すでに直販をやっている漁師さんにも会えました。また、地域活性の事業をやっている団体があり、仕事をしながら基盤づくりができそうだったんです。

周りからは移住を反対されました。だけど、僕自身はキャリアを変えることに抵抗はありませんでした。研究者になれたのは、たまたまうなぎの産卵所を突き止めるという、ものすごい貴重なイベントに立ち会えたことが大きく、本当の自分の力ではないと感じていましたから。また、研究時代に伸ばした能力を研究の外で生かしてみたいという気持ちも強かったです。

対馬に移住してからは、地域活性化を行う団体で、古民家再生プロジェクトなどに関わりました。市の委託事業です。その団体や周辺に漁師さんがいて、時間さえあればお手伝いをさせてもらいました。

僕は、その団体の中で魚の直販の仕組みを始めようと提案しました。魚自体は手に入るので、販路を開拓し、事業として育てましょうと。そうすれば、受託以外でも自分たちでお金を稼ぐことができますから。

ただ、やろうとしていることがうまく伝えられなくて、なかなか実現には至りませんでした。団体を抜けようかと思ったんですが、何もない状態でひとりでスタートしても難しいだろうと思っていました。

そんな時、漁師の方から船を譲り受けることができたんです。船があれば、自分で釣った魚を販売できますし、最低限自分の食べる分の魚を釣れば死にはしません。独立してやろうと腹を決めた時、思いに共感した大学時代の友人から連絡があり、二人で会社を作ることにしました。

まずは、自分たちで釣った魚の直販を始めました。獲れた魚をSNSやブログで紹介して、買い手を探しました。初めてのことだったので最初は失敗だらけでしたが、配送のことなどもしっかりと現場で学び、少しずつ改善していきました。

持続可能な水産業を実現する

現在、僕たちの経営する合同会社フラットアワーでは、自分たちで釣りをしながら、魚の直販の仕組みを作っています。他にも、海の綺麗さを伝えるためのブルーツーリズムの提供や、地元の子ども向けの水産教育、島外の研究者のための研究コーディネートもしています。会社を立ち上げてまだ1年なので、まだ事業シナジーはありませんが、全ては持続可能な水産業を実現することに繋がると考えています。

自分たちで釣りをしているのは、実績作りのためです。ゆくゆくは漁師さんから買った魚を全国の消費者に届ける部分に特化したいんですけど、漁師さんとの信頼関係も販路もない状態では意味がありません。まずは、自分たちで釣った魚で販路を開拓しながら、漁師さんたちの気持ちをちゃんと分かるようになりたいと考えています。

自分たちでは網や縄漁はせずに、全て釣りだけで魚を獲ります。網や縄を使った方が量は獲れますが、売ることよりも獲ることに集中するようになったら、直販がおろそかになってしまうので、それは避けたいと考えています。また、「獲れた一匹をしっかり売って乱獲を防ぐ」という自分たちの理念を曲げないように、あえて自分たちの漁獲の生産性を上げないようにしています。

最近では、少しずつ漁師さんからも魚を購入できるようになりました。もちろん、漁協に卸す値段より高く買います。漁協での買い取り金額は最低価格と最高価格が毎日変動するんですが、絶対に相場の最高価格以上で買うようにしています。そうしないと、直販をして漁師さんの手取りを増やすという目的とずれてしまいますから。

直販の魚を買ってくれるのは、飲食店や個人のお客さんです。魚を送ると、綺麗に料理してくれた写真をSNSに載せてくれることがあって、写真を漁師さんに見せると喜んでもらえます。お客さんとの繋がりができると、漁師さんも獲れた中でおいしそうな魚を優先的に売ってくださるようになって、良い循環になっていると感じます。

とにかく、まずは販売の実績を出すことが大事ですね。漁師さんに「こいつらに魚を託したら売り上げがちょっと上がったぞ」という実感を持ってもらうことが大切かなと思います。

少ない量でもしっかりと稼げる状態を作った後は、仕組みです。漁師さんも乱獲を防ぐことは賛成ですが、みんながルールを守るのか、その確約が大切です。ルールを破る人がいたら、取ったもの勝ちになってしまいます。安心して漁ができるルールのもとで、漁協単位、対馬単位で足並みを揃えていくことが資源を管理することにつながると考えています。

また、豊かな海を取り戻すには、消費者の皆さんに水産業の現状を知っていただくことも大切だと思います。一定数の消費者が、乱獲をしている事業者の魚を買わないといった状況になれば、水産業界も変わらざるを得ません。

持続可能な漁業で取られた水産物には「MSC」という規格が与えられています。世界ではそれがお墨付きなんですけど、日本では基準に満たしているところがほとんどないんです。そういう基準があることを知ってもらい、ちょっと高くてもラベルが付いた魚を買ってもらえると、乱獲も防げるのではないかと思います。

まだまだ規模は小さいですが、もう少しで、二人では回らなくなるくらいの量を販売できるようになります。まずは鮮魚の直販の規模を拡大していきます。魚を捌いてほしいという要望も個人のお客さんを中心に出てきているので、加工場もゆくゆく設けたいと思っています。

鮮度が高く美味しい水産物を全国のお客さんに届けることで、漁師さんにしっかりと還元される仕組みを作りたいですね。その先にある、持続可能な水産業を目指して、まずはできることから積み上げていきます。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

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