つくろう、島の未来

2024年04月25日 木曜日

つくろう、島の未来

山口県出身。大阪の旅行会社で働いていた頃に沖永良部島(おきのえらぶじま|鹿児島県)出身の現在の夫と知り合い、結婚を機に島へUターンした島の島嫁ならぶ「旅嫁」の島日記。

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#01 ヤマト薄顔女、島へ

うがみやーぶら!(こんにちは)。はじめまして。
沖縄本島が見えてるけど鹿児島県に属する奄美群島は
沖永良部島(通称・エラブ)に嫁いで3年目、
年数的にはまだまだビギナー、
年齢的にはがっつり中堅どころの島嫁です。

島嫁、というか・・・旅嫁?

このあたり奄美エリアでは、
外から来た人のことを、たとえ長く住んでいても「旅の人」、
逆に島から出て行った人は、帰ってくる見込みがほぼなくても
「旅に出ている」と表現するらしく、
それに倣うと、私はいわゆる「旅嫁」ということになります。 旅嫁って。
なんか住所不定のジプシー妻みたいな響きですが、永住予定です。

あと、「ヤマト嫁」ともいうのかな。

人に紹介されるときには、
たいてい「ヤマト(大和=内地)から来たお嫁さん」
というふうに言われます。

でもよく考えたらスゴイですよね。
ヤマトって鹿児島本土から北海道まで全てを指すわけで、
あまりにざっくりしたくくり。
もはや外国扱いじゃないかとすら思いますけど、
うん、まぁ外国扱いなんでしょう。顔がもう、明らかに違いますから。
出産前まで公的機関の窓口で働いていましたが、
お客さんから開口一番「どこから来たの?」と聞かれることはザラでした。

濃さが、違うんだと思います。

目鼻立ちの造作もさることながら、
夫の眉毛や睫毛の密度ときたら、眉毛の中になんか
住んでるんじゃないかと思うほど。
カクレクマノミが潜んでたとしても別に驚きゃしません。
って、イソギンチャクか。

今年3月に長男を出産しましたが、
ふっさふさの頭で出てきたときには、さすが島の子、と笑いました。

さて、そんなヤマトの薄顔女が、
どうしてエラブの旅嫁になったのか。

始まりは、大阪の旅行会社で働いていた頃のこと。
学生時代からバックパッカーとしてアジアなどを旅することも多く、
仕事も海外専門の旅行社だったため、旅といえば専ら海外だったのですが、
都会の忙しい暮らしに疲れ始めた30歳ごろ、
ありがちなことに南の島にハマりました。

八重山諸島から始まり、やがて奄美大島に触手を伸ばし
気がつけば、なぜか関西の奄美出身者が集う飲み会などに顔を出すまでに。

その頃から、
夢は「南の島の民宿の女将さん」になっていましたが、
そこへ現れたのが、沖永良部島出身の現在の夫。
当時は二人とも大阪に暮らしていましたが、
付き合いも順調に進みぼちぼち結婚を意識し始めた頃、
彼のほうから「将来は島に帰って民宿をやりたい」と言い出し、
私としてはまさに「しめしめ」。
将来といわずにさっさと帰ろう、イエーイ島島!とばかりにサクサク話を進め、
かなりの遠方というのに山口県の両親も「どうぞどうぞ」と大安売りの勢いで、
あっさり旅嫁への道筋が整ったのでした。

エラブへ行くにあたり、
鳥も通わぬ絶海の孤島へ嫁ぐかのようなイメージを持った友人もいたようですが、
実際は沖縄の那覇からフェリーで7時間ほど。
これを近いとみるか遠いとみるかは人それぞれでしょうが、
学生時代、北京からウイグル自治区のウルムチまで、
そこら中に痰を吐き紫煙を燻らす中国人に囲まれながら
72時間の列車の旅をしていた私にとっては、「近い!便利!」。
なにごとも、経験しとくもんです。

人口も1万以上だし、スーパーもいくつもあるし、
なんと百均まであるし。
交通も、飛行機が鹿児島まで1日3便、
船も鹿児島行きと沖縄行きがそれぞれ1日1便。
離島としてはまあまあ便利なほうではないでしょうか。
もっとも、台風が来ると何日も船が入らず、
スーパーが空っぽになったりはしょっちゅうですが・・・。

あ、不便なことといえば、
たとえば夜に夫と喧嘩して「出て行ってやる!」と叫んだところで、
翌日の飛行機か船が来るまで出て行きようがないっていうのが、
非常に不便です(笑)

そんなこんなで始まった島暮らし、
3年目に入った現在もなぜか、当初Uターンの目的だった民宿は
オープンしていませんが、そのお話はまた次回に。

読んでくださって、みへでぃろでょー(ありがとう)。

<#02 へ続く>

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