つくろう、島の未来

2019年10月15日 火曜日

【新連載】長崎県五島列島で一番大きな島、福江島(ふくえじま|長崎県五島市)のとある集落にできたコミュニティスペース・ソトノマ。島記者ありかわが綴るソトノマ開店から今までのこと、島の暮らし、ソトノマにまつわる人々、日々の出来事。

■島にコミュニティスペースをつくる。福江島のソトノマ #01

2年前の2011年6月、私たち一家は五島列島で一番大きい島、
福江島に家族で移住しました。
就職してから6年間を過ごした大阪から
広島出身の夫、2歳の息子、退職して孫育てを手伝ってくれていた実の母と一緒にです。
私は小学校3年生以来の島暮らしでした。

都会暮らしに大きな不満があった訳ではありません。
何でもあって、どこにでも行ける都会暮らしは正直楽しかったですし、
仕事も新たなことに取り組める部署で日々刺激的で充実し、
まわりの人も優しく本当に恵まれていました。

じゃあ、何で島に移住しようと思ったのか?
震災があったから・・?
子どもを島の自然あふれる環境で育てたかったから・・?
田舎暮らしが好きだから・・?
どれも要素としてはあったと思います。
けれど、今振り返って一番大きいのは、
「島には自分にしかできないことがあるから」だと思うようになりました。
都会にも大きな会社にも、自分じゃなくても優秀な人がたくさんいて、
自分がいなくてもどんどん物事は進んで行く。
けれど、島ではこんな自分でも自分にしかできないことがあるような気がする。
そして、年を取ってからでは遅すぎる。
今しかない!
これが一番大きな理由です。

家族会議の末、島への移住を決め、
島の親戚や知り合いに「島に帰ろうと思う」と伝えると、
全員が全員100%口を揃えてこう言いました。
「帰ってくるな!何しに帰ってくるとか?」
「大学院まで出て、良か会社に入って、もったいなか!」
島の人から見ると、大きな会社や安定した将来を捨て、
経済が疲弊し、人口が減り続ける島に帰って来ることは
不思議以外の何者でもないのです。
というわけで移住の一番のネックは、意外にも島民の反対でした。
でもこんなことを言うのは、これから島に来たい人にとっても良くないので、
ぜひ島をあげて禁句にして欲しいと思います。

そして島に移住してから一年半後、
私たち家族はコミュニティスペース・ソトノマをオープンするに至ります。

ソトノマは、福江島の市街地から車で15分程
本山と呼ばれる地区の小学校の前にあります。
島のなかの他の場所のように、特別な観光地や景勝地があるわけではなく、
田圃や畑に囲まれた、お年寄りが多い、本当に全国のどこにでもある田舎町。
建物は以前は酒屋さんで、6年間空き店舗になっていたところを借りました。

名前の由来は、自分の家の居間や茶の間が地域の中にあるような感覚で利用して欲しい
という思いから「家の外にある間」=「外の間/ソトノマ」と名付けました。

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(改装前の建物。自動販売機だけが置かれていました。)

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(ソトノマ外観。改修後こうなりました。)

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(毎日たくさんの方々がソトノマを訪れます。)

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(学校帰りの小学生も。)

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(ご近所のおばあちゃんも。)

2013年1月29日ソトノマオープン。
何もなかったこの場所は、現在、月に2000名を超える方々が訪れる場所へと育っています。
毎日いろいろな方が、いろいろな目的でここを訪れ、
それぞれの時間を過ごしています。

オープンしてしまえば簡単なことのように思えますが、
それまでには、たくさんの困難や紆余曲折がありました。
そして、オープンしてみて分かったことや
新たに生まれた変化もたくさんあります。
家族しか知らないその顛末を、つたない文と写真ではありますが、
次回からこの連載の中で少しでもお伝えできればと思います。
しばらくの間、おつきあいの程どうぞよろしくおねがいします。

< 次回へつづく>

離島経済新聞 目次

【連載】島にコミュニティスペースをつくる。福江島のソトノマ

長崎県五島列島で一番大きな島、福江島のとある集落にできたコミュニティスペース・ソトノマ。島記者ありかわが綴るソトノマ開店から今までのこと、島の暮らし、ソトノマにまつわる人々、日々の出来事。

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